夫は消防士の仕事をしており、仕事に行くと24時間は帰ってきません。
また、大きな災害があると呼び出しがあり、家族で旅行中の時にも急きょ帰宅するという
事が何度かありました。
>>1は実は幸せでしたっていうオチだろ?
そういうのではないです。
仕事が終わると、24時間また休みとなり、休日も一般的な職業よりは多かったと思います。
給料は少なかったですが、仕事が終わり帰ってきたからは毎日家事や育児を手伝ってくれましたし、
とても良い旦那だったと今は思っています。
ただ、あの頃はそれが当たり前のようになっていました。してくれて当然とすら思っていました。
子ども送り出して、仕事に行き、夫が仕事から帰ってくる日や休みの日は全て夫が家事をしてくれました。
お互いにつまらない事で喧嘩をする事はありましたが、夫婦関係は円満だったと思います。
プロポーズの際に言われた言葉を今でも思い出します。
本当に君が居てほしいと願ったときに、自分は一緒に居れないかもしれない。
辛い時に家族よりも仕事を優先するかもしれない。それでも、君が待っていて
くれるなら俺は必ず帰ってくるし、一緒に居る時は支えるから、結婚してほしい。
そんな言葉を伝えられました。
家にいる日は毎日娘を見てくれましたし、二人で遊びに行ったりもしていました。
私と違って夫は料理も上手で、家事全般がとても出来る人でした。
そんな中で、何時しか私は夫がいる日は家事を殆どしなくなりました。
私がやるよりも、夫がやった方が良いと感じるようになりました。
私の料理には娘は喜びませんが、夫の料理にはパパおいしい!といつも言っていました。
2011年3月11日の事です。私はいつものように仕事に行きました。夫はその日、仕事が終わり
帰ってくる日だったと思います。東日本大震災の影響で、私の職場は天井が落ち、大きな被害が
出ました。夫には電話をしましたが繋がらず、何とか徒歩で家に帰宅すると夫からの置手紙があり、
娘はご近所さんのお家にいる事、そして職場に行くと書いてありました。
娘と共に家でひたすら夫の帰りを待ちました。当時、本当に不安で心細く、
それでも娘を守らなければと必死に自分に言い聞かせていました。
しかし、待てども夫は帰宅どころか連絡すらくれませんでした。
とても疲れているというのは表情からも分かりましたが、私と娘を優しく抱きしめてくれました。
私の職場で天井が落ち、ケガ人が出たことも夫は知っていました。私の死を覚悟したとも言っていました。
夫が帰ってきたという安心感もあり、心細く不安になっていた事もあり、私は何で家族を置いて
仕事に行ったんだと夫に問い詰めました。ビンタもしたような気がします。
そして強く私と娘を抱きしめてくれました。
ただ、その後の夫の言葉に私は衝撃を受けました。
この後、夫は仕事の荷物を纏めて東北の被災地に向かうと言うのです。
折角帰ってきたのに、私は夫が何を言っているのか分かりませんでした。
確かその時には原発のニュースもやっていて、私は本当に日本が
大変な事になると思っていました。
そんな時に何で私たちを置いて、被災地に向かうのかが理解出来ませんでした。
娘もパパ置いてかないでと泣いていました。
娘も私の不安感が伝わっていたのかもしれません。
それでも、夫は
本当にごめん、本当は行きたくない、それでも自分は消防士なんだと言い、荷物を纏めると
直ぐに職場に戻っていきました。
家を出ていく際、私は離婚する!私たちを見捨てるあなたなんて、もういらない!と言いました。
すると、夫は悲しい顔をして、何か自分にあったら、娘を頼むと言い残して行きました。
テレビのニュースを見るのも嫌になっていました。被災地の方のほうが辛い思いをされているのに、
自分の事で頭が一杯になっていました。娘は余震を怖がり、夜になるとパパ、パパと夜泣きを
するようになりました。思えば、娘が生まれてから一人だけでこんなに長い時間、娘の面倒を
観るのは初めてだったと思います。
パパと泣く娘を見て、私は次の日、同じ職場の男性に連絡を取りました。
好きだったとかではありません。ただ不安で、話を聞いて欲しかったんです。
分かっています。。東日本大震災の時は、第二次派遣隊として夫は出動しました。
分かっているのに、その時は頭で理解していても、納得出来ませんでした。
消防士の妻としての覚悟が足りなかったのだと、今では思います。
職場の男性は親身になって私の話を聞いてくれて、励ましてくれました。とても
安心したのを覚えています。それから娘の夜泣きの話を聞くと、
昼間に私の家に遊びに来てくれると言ってくれました。
男の人がいれば、娘の不安も和らぐだろうとその時は思ってしまいました。
娘が求めていたのはパパなのに、私がその分娘を守ってあげなければいけないのに、
本当に私は愚かな事をしてしまいました。
それからは夫が帰ってくる日まで、男性はずっと家にいました。
夫が被災地に行って1週間ほど経ち、職場から今日帰るからと夫から連絡がありました。
とても疲れた声でした。仕事や訓練で疲れていても、そんな様子を殆ど出さない人でしたが、
あの時だけは声だけでも疲れているのが分かりました。
私は職場の男性に急いで帰ってもらい、家の掃除をしっかりとしてから夫の帰宅を待ちました。
関係開始早すぎー
いつも凛々しく、逞しかった印象は無くなり、とても頼りなく感じました。
帰ってくると、私と娘を抱きしめ、会いたかった、本当にごめんなどと、色々言ってくれましたが、
私の耳にはあまりその言葉が入ってきませんでした。
1週間ほど、夫は職場から休みを貰っていたのですが、家に閉じこもり、夜中になると
寝ぼけているのか啜り泣き、娘を抱きしめながらごめん、ごめんと言うようになりました。
うなされているのか、寝言も多くなりました。
何があったのか、私は聞いてあげれば良かったのに、今になって思えば夫も辛い思いを
していただろうに、私はそんな夫を支えるどころか、むしろ情けない、気持ち悪いと思うように
なりました。
当時の経緯を話し、夫は悲しい顔をしながらも、もうしないでくれと許してくれました。
それがまた、情けなく感じてしまい、私に対する愛はないんだなと思ってしまいました。
そしてまた関係が知られ、離婚するに至りました。
離婚して年数が経ち、今は本当に夫への懺悔の気持ちでいっぱいです。
私自身の愚かしさに押しつぶされそうになります。本当に、本当にごめんなさい。
娘は過ごしています。だったら、一緒に暮らせば良いと何度も提案しているのに、
夫は良い返事をくれません。それどころか、この間、夫が別の女性と歩いているのを見て
本当に辛かったです。私が悪かったとはいえ、その姿を娘には見せてほしくなかったです。
娘も小学校に上がり、今では昔よりも色々な事に気付くと思います。
最近、娘から何でパパと別々なの?と聞かれると、答えに困ります。はぁ。
親権とれただけでありがたく思えよ
答えに困りますじゃねーよ
引用元: ・浮気して離婚した女の話
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